2011/12/25


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作品のあらすじ


本編は、厚生労働省の「原爆症認定制度」が、「わたしの病気を原爆のせいだと認めて欲しい」と申請した被爆者の多くを却下し続けていたことに耐えかねた全国の被爆者たちが、2003年に集団訴訟踏み切る歴史的経過の紹介から始まります。
 カメラは原告被爆者によりそって、2006年の大阪地裁や広島地裁での全員勝訴などで歓喜する被爆者の様子や、政府・厚労省の若い役人に自らの被爆体験を諭すように語り聞かせ、悲しみや怒りとともに「控訴するな」「認定制度を改めろ」と要請する行動を丹念に追って行きます。同時に、被爆者の思いを無視し、ときには拒絶し、司法に断罪されながら、冷酷にも控訴を繰り返す被爆国政府とも思えぬ許しがたい不誠実さを生々しく切り取って伝えています。
「次なる世代のために」「わたしたちの政府であって欲しい」と訴える高齢の原告たちは、たたかいの中で倒れて逝きます。厚労省側の「訴訟は金のため」との誹謗に、怒りの涙で抗議する被爆者。自らは敗訴しながらも、訴訟全体の勝利を願ってたたかう原告・被爆者たちの苦悩。原告たちと、彼らを励まし支える弁護団や支援者たちとは、「二度とヒバクシャをつくらせな」との熱い思いでつながっています。
被爆者たちは、司法の場で勝ち続けます。被爆者たちの集団訴訟は世論を味方にして政府を追いつめ、終に2008年「原爆症認定制度の改善」を実現させます。しかし、いまだ司法の判決とはほど遠い「原爆症認定制度」の現実も伝えています。

作品の紹介

本作品は、2011年の8月に刊行された「原爆症認定集団訴訟のたたかいの記録・全二巻」(日本評論社)の付録として編集されたドキュメンタリーのDVD「原爆症認定集団訴訟の記録 にんげんをかえせ」(89分)を、一般公開用として80分弱に再編集したものです。
構成、演出、編集を、「つるにのって」「NAGASAKI1945アンゼラスの鐘」「うしろの正面だあれ」など、反核平和教育のためのアニメーション作品を数多く作っている有原誠治監督が担当しました。
作品に使用された映像の多くは、広島で被爆した祖父を持つ磯部元樹(現、名古屋市在住)が家庭用ビデオカメラで原爆症認定集団訴訟を長年に渡って追いかけて撮ったものです。その映像の中から、2003年から2010年までの映像を中心にして作品は構成されています。
作品の中でくりかえし使用されている曲は、シンガー・ソングライターの横井久美子が、原爆症認定集団訴訟の支援曲としてつくった「にんげんをかえせ」。歌詞は峠三吉作の「にんげんをかえせ」、原曲は「アメイジング・グレィス」。
2011年11月完成、11月の「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」で初公開。

作品の感想

2012年2月 浜松町味覚糖UHA館試写会より

24日「にんげんをかえせ」を拝見しました。
ありがとうございました。3歳時・被爆者です。
大変大きな感動を覚え、私たちの闘いの正しさを確信しました。
次々と「勝訴」の掲示を見るたびに、心は高鳴り震え、涙・涙・涙です。
「控訴するな」と、厚労省内・外での訴えで、被爆者・弁護団の毅然とした態度は、厚労省側のうろたえる態度と比べ、正義はどちらにあるか、明白です。
とりわけ、被爆者の全身から満ち溢れる怒りの訴えはには、感動しました。
私は、この闘いには途中(2007年)からの参加です。友の死を見、彼らが生きていたことを伝えなければと行動に参加しました。生かされた者の責任との想いがありましたが、この被爆者の怒りの声を見て、もっと根源的な「人間という種」を守ろうとする本能的な姿を見たように思いました。
「現行法・改正」を勝ち取る、闘いはこれからです。 
しらさぎ会 原 明範

まさに、福島原発事故以降の、日本の将来にも通じる問題。
私たちは、核の問題について永久に記録し、語り、
世界に伝えてゆく必要があると痛感しました。(男性)

日本政府は本当に国民に対してひどいことをします。
原爆被害者の声も聞かず、だまして、長びかせるやりかた。
被爆者の方の訴えに涙が出ました。
雨の日、風の日、休まず行動していることを応援します。
この映画を、京都でも上映会をしたいと思います。(女性)

理不尽にに女子どもの上に落ちた原爆。
被爆者の方々の怒り、今の私の原発に対する怒り。
「人間と核は共存できない」
この恐ろしい核を使ってきた人間たちは謝罪しなければなりません。
人間の命の重さは、地球の重さと思う。(女性)

何事につけても、行政とはなぜこんなに冷淡なのか?
どうしたら幸せになれるのだろう。 

被爆者のたたかいを知る悲しみと憤りに心痛みます。
8/5広島韓国人原爆犠牲者碑に朝鮮五葉松を植えました。
朝鮮人の被爆者は、また別の問題提起です。

とても考えさせられました。
知らなかったことがたくさんありました。
多くの方々に見ていただきたく思います。
有原さんの、他の作品も見て見たいものです。
どうして国というのは控訴するのか。
(原爆症に限らず、何かと理由をつけます)
いつか、調べてみたいと思います。(女性)

あらためて被爆者と呼ばれ(た)る人々に出合った気分です。
たくさんの語り部さんの話や本を読んで来ました。
DVDを見て、あらためて伝えられる思いにたくさん学びました。
誘い合ってでかけて良かったです。
「原爆症認定集団訴訟の記録」
書籍と違ってDVDは直接目に、耳に入りました。
良かった。いいものが出来ました。(女性)



11月5日「被爆者の声をうけつぐ映画祭2011」での感想より

★ 期待してなかったが、ぐいぐいと引き込まれた。
★ 本当にすごい「闘い」でした。もっと多くの人に知ってもらいたいものです。
★ 感動的。もっとこの問題を衆知すべき。20代~50代の人々にどうやって見せようか?
★ 被爆者の、命をかけたたたかいの言葉が胸に響いてきました。たたかい続けて行政の姿勢を変えさせてゆくことの大切さを学ぶこともできました。
★ すばらしかったです。被爆者、弁護士、撮影者、制作者の話もとても生々しく考えさせられました。
★ 集団訴訟の勝利は、フクシマの今後にも貴重なものであったのだと、つくづく思う。
★ この10年でも、こんなにいろいろなことがあったのか。いろいろな変化があったのか。びっくりしました。
★ 実際に原爆訴訟の活動をする人たちの姿を見て、自分との距離が近づいた気がします。
★ 原告の命をかけた必死の闘いであることが、リアルに伝わってくる素晴らしいドキュメンタリーでした。
★ 労作でした。訴訟の持つ意味が深くわかりました。
★ これまで原爆症認定訴訟に関わってこなかったことが悔やまれます。福島の被爆者のお役にたちたい。この映画の厚労省の役人は、経済産業省や文部科学省の役人と同じだと思った。
★ 広島、長崎の経験を持つ日本が、非核運動の先端に立つべきであったと感じました。福島原発事故を防ぐことが出来たのにとくやみます。

制作への思い

                  有原 誠治 (映画監督)
「原爆症認定集団訴訟の記録 にんげんをかえせ」は、被爆者たちの魂からの叫びに満ちています。広島・長崎で被爆した人々の証言は、核時代に生きる人々への警告であり予言と云われて来ました。 被爆から66年を経てもその被害を軽んじ隠蔽する政府の不正義に、敢然と立ち上がった老いた被爆者たちの命を賭けたたたかいは見事に勝利し、核・放射線に汚染された大地で生きねばならない人々の生存のための道標をつくりあげました。しかし、その存在をいまだ知らない人々が多数です。長年に渡ってカメラを回し続けた磯部君に感謝しながら、今を生きる人々に一刻も早く送り届けたいとの思いで制作を担当しました。

制作スタッフと映像提供者

構成と演出:有原誠治 映像提供:磯部元樹 玉木英子  挿入歌:横井久美子
製作:原爆認定集団訴訟の記録製作委員会  
プロフィール
有原 誠治:ありはらせいじ 1948年秋田県生まれ。アニメーションの監督として東京大空襲で孤児になる少女を描いた「うしろの正面だあれ」(1991 80分)、広島で被爆したサダコを描いた「つるにのって」(1997年 30分)、長崎の被曝医師秋月辰一郎たちの被曝から45日間の奮闘を描いた「NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘」(200580分)などがある。ドキュメンタリーは本作品が初めて。
 磯部 元樹いそべげんき 東京都生まれ。祖父が広島の被爆者、その影響で被爆者の活動をビデオカメラで撮影し始める。現在は名古屋市に在住。
 原爆症認定集団訴訟の記録製作委員会
 集団訴訟に関わった弁護士と支援者、そして映像制作を担当する映画人で構成されています。 

原爆症認定集団訴訟とは

 被爆者306名が原告となって、政府・厚労省を相手に2003年4月にスタートした原爆症認定集団訴訟は、2006年の大阪地裁での全面勝訴を皮切りに、全国17ヶ所の地方裁判所で次々と勝利を積み重ね、政府を相手にした裁判としては過去に例のない29勝を記録、勝訴率は90%を超えました。

 1994年に定められた「被爆者の援護に関する法律」は、その第1条で「被爆者とは被爆者健康手帳の交付を受けたものとし、その前文で「原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者に対する、保険、医療、および福祉にわたる総合的な援護策を講じ」と定めています。

 広島・長崎で被爆した人々は、60余年を経てもさまざまな健康被害に苦しみ、生活不安を抱えています。援護法にもとづいて具体的な支援を受けたいと願う被爆者たちは、厚労省に自らの病気を”原爆症”として申請して、審査を受けて認定されてはじめて医療特別手当の支給などの支援を受けることができます。これが、“原爆症認定制度”です。

 ところが、アメリカの核政策を容認する日本政府は、原爆被害をできるだけ狭く小さなものにとどめようとして、認定被爆者を限定して来ました。2003年当時、被爆者手帳を持つ25万人余の被爆者のうち、原爆症認定はわずか1%に達していませんでした。
 
 被爆した当時は幼い子どもや青年だった被爆者たちは、核被害を小さく制限する国の認定制度を放置すれば、ふたたび核兵器を使用する道につながりかねないと考えました。そして、2003年の4月に国を相手に原爆症認定集団訴訟を起します。
 
 この集団訴訟は全国の被爆者が、法廷で「被爆の実相」を明らかにすることによって、国に原爆症を認めさせ、核兵器をなくすことに寄与したいとして提起した裁判でした。

原爆症とは、原子爆弾(原爆)による被災による健康障害の総称です。原爆による被害には三つのものがあります。①原子爆弾の熱線、爆風による創傷、熱傷。②放射線被曝による急性放射線障害(発熱や下痢、脱毛など)。③放射線被曝による晩発性障害(がんや白血病、白内障、瘢痕(はんこん)などがあります。